2024 05,19 12:42 |
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2009 01,15 16:32 |
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続きです。
少々グロい表現がありますのでお気をつけ下さい。 「彼女はね、壊れてしまったんだ」
執務室に戻り、ホークアイ中尉が淹れ直した紅茶を囲んで、ロイは淡々と語り始めた。
「もう五年程前になる。イシュバール戦が終結して間もない頃…かな。各地で小さな争いが絶えず起こっていてね、彼女の夫はそこで命を落としたのだよ」
「五年前って……」
五年前と言えば、まだエドワードがロイと出会う前のことだ。そんな前から彼女は正気を失っていたのか?と視線で問えば、ロイは小さく肩を竦めて肯定する。
「最初の頃はまだマシだったのだがね、年を負う毎に少しずつ壊れていった。おそらく…夫が死んだという事実が、彼女にとってあまりにも受け入れ難い現実だったのだろうな」
彼女に死亡通告をした兵士によれば、それはもう言葉では表せられないほどの多大なショックを受けていたという。
そう告げられ、エドワードは先程の彼女の姿を思い出して背筋を凍らせる。
正気を無くした瞳。髪を振り乱し、形振り構わずに必死に縋って、何が何でもロイの口から自分の望む言葉を導き出そうとしていた。
あれはまさに、鬼の形相と言ってもいい。
「まあ…無理も無い。彼女の夫は情報部に配属されていてね、敵に関する情報収集している最中に敵に捕まり、過剰な拷問を受けて死んだのだよ」
それもかなり惨い殺され方をして。
テロリストが見せしめと称して、捕らえた兵士に拷問をかけるのは珍しくない。彼らはそれが、最も効果のあるパフォーマンスだと知っているからだろう。元々憎むべき軍の人間なのだからと、その行為にはまったく容赦が無かった。
溜息を隠すように、ロイは持っていたカップから紅茶を啜る。深い茶葉の香りが、優しく口内に広がった。
メイフィス・ストーンズ少尉は、軍の情報部に所属していた。
東部の郊外に潜伏するテロリストの目的と内部構成を探るため、単独で任務についていたのだが、運悪く敵に発見されてしまい、捕らえられた。
通常ならばここで人質交換などの交渉が交わされるのがセオリーなのだが、彼の場合まったくそれが無かった。おそらく……あまり起こって欲しくは無いことなのだが、彼はテロリスト達から『私刑』を受けたのだろう。彼らの鬱憤の解消としてその身を使われた彼の身体は、舌を切られ、両目を潰され、四肢の腱を切断され、完全に身動きが取れない状態で身体中をナイフで切り刻まれた後、無造作に道に捨てられていた。明るく笑顔の似合っていた生前の彼の面影は何処にも無く、血と泥に塗れ腐敗の始まっていた遺体は酷く痛々しかった。発見された時には既に死後一週間は経過していて、とても彼女に見せられる状態ではなく、そのため回収された遺体はすぐさま軍によって処理され、僅かに残された遺骨だけが、彼女の元に届けられたのだ。
……だからだろうか。彼の死体を目の当たりにしていない彼女は、残酷過ぎる現実を決して受け入れなかった。
「元々軍人の妻になるには、彼女は精神的に弱い女性だった。ストーンズ少尉と私はそれなりに面識があってね。だから結婚する前に彼女を紹介された時、少なからず危惧したよ」
果たして耐えられるのだろうか、と。
軍人の妻になるという事は、常に死と隣合わせの夫を傍で見つめ続け、任務に赴く度に覚悟していなければならない。例えそれが前線に配属されなくとも、死の確立は一般の人間に比べれば遥かに高いのだ。それは他人から聞かされる以上に重く圧し掛かり、日々が終わらない地獄に変わる。余程精神的に強い者で無ければ、『失う』という恐怖の重圧には耐え切れないだろう。
「……予想通り最愛の夫を失った彼女は狂った。五年経った今も、現実と狂気の狭間で生きながら、ああやって年に一、二回此処に訪れては、同じ事を訊いてくるのだよ」
夫が家に戻ってこない…とね。
語り終えたロイは、そっと静かに瞳を閉じた。
彼女の夫がまだ生きている時に見た彼女はとても美しく、彼が自慢げに紹介して来たのを覚えている。艶やかな赤毛と栗色の瞳は愛情に溢れていて、控えめに彼の少し後ろに立つその姿はとても『可憐』という言葉が似合っていた。
しかし今はその面影も無く、日々を生きた『屍』の如く、夢の狭間で彷徨い続けている。
「……だから、さっき大佐のこと『中佐』って言ってたんだ…」
彼女の時間は、5年前で完全に止まってしまっているのだろう。
周囲の環境は確実に変わっているのに、彼女だけが発端である『過去』から開放されずに、出口の無い迷宮に取り込まれてしまっているのだ。
「…辛い、な……」
いくら待っても絶対に帰っては来ない夫をただ待ち続けていくなんて。
そう、呟きながら視線を持っているカップへと落とす。
エドワードにしてみれば母親を失ったあの瞬間が、過ぎる事無く常に纏わり付いているのと同じだ。忘れることも出来ず、『過去』として処理する事も出来ずに、あの恐怖と悲しみにひたすら苛まれる日々なんて……そんなもの、絶対に耐えられない。
エドワードが明らかに顔色を変えていくのを見て、これ以上は続けない方が賢明だと踏んだロイは、空になったカップをソーサーに置くと、ソファから自分の机へと移動した。
「まぁこれでしばらくは彼女も落ち着くだろう。きっと明日には全て忘れて、ただ静かに夫を待ち続けているだろうさ」
夢の中で生きる彼女。
時は確実に流れているのに、彼女の周囲だけは『過去』のままの『現実』がある。
「でも…それって、何の解決にもならないじゃんか!」 「ならば鋼の、君は彼女に真実を告げることができるかね?」
貴女の待ち続けている夫は5年も前に死んでいると、残酷な現実を傷心の彼女に突き付けることが出来るのかと問われ、エドワードは息を詰める。
「夢の終わりは即ち幸福の終焉だ。少なくとも、今の彼女にとっては」
「っ……」
出来る訳が無い。
彼女にとって夢の中にいる限り夫はまだ『生きている』のだ。その夢をぶち壊し、再び現実を突きつけたら……間違い無く彼女は『死』を選ぶだろう。
最愛の夫を無くしているのだという絶望に耐え切れず……
「だからね、今はあのままにしておくしかないのだよ…」
誰も彼女の命を奪う権利は無い。
過去の迷宮に捕われていても、彼女の中では、夫は今も『生きている』のだ。思い続け、そっと待ち続けるのがどんなに辛くても、彼女の中では今も記憶という名の夫が、息をしている。
それを砕く権利を持つ者など、何処にも居ない。
「思い出したいと彼女が望めば、いずれは正気に戻る。まぁ、一生あのままかもしれないがね」
それをどうこうしてやろうという気は、私には無いよ。
酷くそっけなく言い放つロイに怒りが湧き起こるが、彼に怒りをぶつけた所で八つ当たり以外の何物でもない。
どうすることも出来ない現実に、エドワードは重い溜息と共に、冷めた紅茶を飲み込んだ。
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