2024 05,19 10:01 |
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2009 02,09 10:46 |
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ひたすらシリアスです。
君は白い花がとても似合うね……そう言って、笑いながら手作りのベールとブーケを渡してくれたあの人は、何処に行ったのだろう?
ライラ・ストーンズは、端の欠けた花瓶に小さな白い花を生けながら首を傾げた。
いつの間にか荒れ放題になってしまっていた室内を片付け、夕日も沈み始めた空を見て夕食の準備をする。昨日は一体何を作っただろうかと思いながら、しかしどうしても思い出せないので、どうせ今日は一人なのだしと簡単な煮込み料理を作った。
簡単だけれど、これはあの人がとても好きだと言ってくれた料理。
たった一枚だけ用意した皿に料理を盛り付けながら、これをあの人が食べてくれるのは一体いつになるのだろうと、一人溜息を零す。簡素なテーブルに盛り付けた皿と白パンを添えて食卓に着き、スプーンで柔らかく煮込まれたジャガイモを掬うが、食欲が無いからか、一向に口に入れる気がしない。
自分が配属されているのは、単なる情報部だから死ぬことは無いよと笑った、彼の笑顔が少しだけ遠い。もう随分と目にしていないような気もするが、実際には彼が出てからまだ一ヶ月ほどしか経過していない筈だ。しかし新婚なのに一ヶ月も一人ぼっちにされると、どうしても寂しさが付き纏うのは仕方が無い、と彼女は自分自身を慰めた。
早くあの人の笑顔が見たい。
愛しているよと囁く声が聞きたい。
だけど愛する夫はまだ戦地から戻ってくる連絡は無くて……
だからきっと、あんな恐ろしい夢を見たのだ。
死ぬ筈の無い夫が敵に捕まり拷問死したなんて、そんな考えるだけでも恐ろしい現実など起こるわけが無い。
そう、きっと二ヶ月も一人きりにされている不安が、夢になって具現化してしまったに過ぎない。
夫が死ぬ筈なんて無い。
彼が居るのは後方。しかも彼が担っているのは人の命を奪う銃ではなく、情報収集だけ。
死ぬ確立なんて、他の軍人に比べればずっと少ないと彼も言っていたのだから。
「うん……平気、平気、よ…ね?」
わざと言葉にして、沸き起こる不安が消えますようにと願いを篭めて口にする。
何故か語尾が疑問形になっていたが、彼女はまったく気付かない。
絶対にメイフィスは帰ってくる。
両手を広げて、『遅くなってゴメン、会いたかったよライラ』と優しく抱きしめてくれる筈だ。
その日を迎えるためにも、一人が寂しくて食欲が無いなんて言っていられない。頑張ってお勤めをして帰ってくる夫を、元気な姿で出迎えてあげる為にも食べなくてはと思い、ライラは冷め始めていた料理を無理矢理口の中に押し込んだ。
2
エドワードが彼女を見つけたのは、まったくの偶然だった。
古書店に頼んでおいた書物が届いたと連絡が入ったので、エドワードはアルフォンスに取りに行って来ると一言告げてから、図書館を出た。
たまには違う道から行こうと思ったのも、その道を選んだのも、本当に単なる気紛れだった。
今日は暖かかったので赤いコートは弟に預け、財布だけをズボンのポケットに押し込んで、いつもとは違う道程を歩いた。
ここ数年幾度と無く訪れていた街だが、こうしてみると知らない店が数多くある事に驚く。そういえば、この街に来るのは大抵が報告だったり、軍部の資料室でひたすら調べモノをするだけだったので、何年も通い詰めた街であるにもかかわらず、あまり出歩いたことが無かったのだ。
途中、小さなペットショップや、珍しいモノを取り揃えた骨董屋なんてものもあって、今度は弟も連れて来ようと、エドワードは一人ほくそ笑んだ。
そんな風に、周囲を何気なく見渡しながら歩いていた時。
「………ぁっ、」
エドワードは、角の花屋から小さな花束を抱えたライラを発見した。
その姿を見つけて思わず立ち止まってしまったが、考えてみれば彼女とはまったく面識が無いのだ。こちらはあの騒動で知っているとしても、一度も話を交わしたこともないのに、顔を目にした途端驚かれても困惑するだけだろう。
どうしようかと考えている間に、ライラはあっという間に距離を詰めてニッコリと微笑んだ。
「こんにちは」
先日に見かけた時の鬼のような形相など微塵も見当たらない、人当たりの良い柔らかな微笑みを向けられ、エドワードは反射的に『コンニチハ』と返す。
「…どこかで、お会いしたことがあったかしら?ごめんなさい、最近物忘れが酷くて」
もう年なのかしらと小さく呟くライラは、少女のように無垢な表情を浮かべていて、そんな彼女を、エドワードは綺麗な人だなと素直に思う。
儚げで、でも陽の光の下で淡い色を持つ、草原に咲く小さな花のような女性。
でもだからこそ、大佐が彼女を見た時に『危うい』と感じたと言ったのが納得できた。
こうして面と向かっていてもなんとなく判るくらいに、ライラはとても綺麗で脆そうな雰囲気がある。初対面であるにもかかわらず、ロイが軍人と結婚して本当に大丈夫だろうかと危惧したのも、充分に頷けた。
「え、え~と別に、ただ……し、知り合いに似てるなって思っただけだから!」
お姉さんとは初対面だよ、と慌てて取り繕うように嘘を並べ立てると、彼女は『そうなの?』と小首を傾げてからなら良かったとホッとした表情を浮かべた。
綺麗な綺麗な笑み。
人を疑う事を知らない、世界の汚れた部分なんて何一つ知らない。ある意味、本当に夢世界の住人であるかのような、無垢な空気を纏っている気がする。実際に彼女は夢の住人と化しているのだが、こうして対峙している限りでは、昨日のような異常さは何処にも垣間見えなくて、アレは見間違いだったんじゃないかと思う位だった。
「それはそうと…貴方、とっても綺麗な金色の髪ね、羨ましいわ」
思わず触りたくなっちゃうかもと零すライラに、エドワードは首を傾げる。
「ええ?そんな事無い…と、思うけど」
常に旅を続けているエドワードは自分の髪にまで気を配る余裕など無い。特に髪に対して気を配っているわけでもないし、第一宿が無くて野宿を強いられる時だって少なくなかった。何日も頭どころか身体も洗えない日が続く時だって、頻繁にではないにしろまったく無いわけではなくて。そんな生活を送っている自分の髪が、お世辞にも綺麗な筈は無いのに、ライラは華奢な白い指でサイドに零れているエドワードの髪を一房拭い、スルリと撫でた。
「ううん、とても綺麗。まるで太陽の光をいっぱいにして閉じ込めたみたい」
私の髪はこんな色だから、小さな頃は貴方みたいな綺麗な金髪の髪に憧れたものよ、と唇に人差し指を当てながら片目を瞑る。 でもね、と紅を注していないのか幾分肌色の悪い唇が続けた。
「夫がね、『君の赤い髪が僕は大好きだよ』って言ってくれたの」
まるで春の黄昏を集めたみたいだって。 夫が褒めてくれたから、昔は嫌いだったこの赤い髪も今は好きなのとうっすらと頬を染めながらも誇らしげに言う彼女は、とても幸せそうに見えた。
だが、彼女が本当は幸せではない事をエドワードは知っている。
彼の愛する夫は五年も前に命を落とし、彼女はそれからずっと過去の『幸せ』に縋って生きているのだ。
ただひたすら帰らない夫の帰りを待ち、いつかその腕に抱かれる日を夢見て。
昨日初めて彼女の様合いを見た時、エドワードは彼女を不憫だと思った。
髪を振り乱し、破れた衣服すら気付かずに必死に大佐に縋る姿は、とても正気の沙汰ではなかった。
だがこうして目の前で夫の言葉を幸せそうに語る彼女の笑顔は本物で、これが昨日の彼女と同一人物かと我が目を疑いたくなる位幸せそうで、とても不幸には見えなかった。
(ああ……だから、か…)
エドワードは唐突に理解する。
ロイが彼女に対して何も手を下さなかった訳。
彼もまた、ライラのこの笑顔を目にしたのだろう。
白い小さな花が咲き綻ぶような、そんな幸せそうな笑顔を。
普段は沈着冷静で、何事にも冷淡な態度を取っているが、彼は決して非情ではない。最愛の夫を亡くした悲しみに暮れる彼女を、何もせずに放って置くような事はしなかった筈だ。
壊れてはいるが、正気に戻した所で彼女は幸せになれない。
だが壊れた彼女を支える者は周囲にいない。
ならばせめて壊れていてもこの笑顔を守ることを、彼は選んだのだろう。
人の幸福など、他人の物差しで計ることなど出来ない。個人の幸せなんて、他人が勝手に定めた幸福の基準に当て嵌められるものではないのだ。
だからああやって、ライラが突然軍に乗り込んできても何の咎めもしないし、毎回同じ問いに対し彼女が欲しているだろう同じ答えを返して、彼女の世界が壊れないようにしてやっているのだ。
おそらくそれは、彼の周囲も悟っているのだろう。
泣き叫ぶ彼女に対して何も口にせずただ傍観していたのは、そんな暗黙の了解があったからなのだ。
(ホント、素直じゃねぇヤツ)
エドワードはライラを見上げながら、胸中で自分の上司に対して舌を出す。
素直に言ってくれれば、それが何を意味しているかくらい直ぐに理解出来るのに、こういった時の彼は頭に『馬鹿』と付けたくなるほど素直じゃない。
(だからいけすかねぇんだよ、っとに、)
舌打ちしたい気持ちを必死に押し殺して、目前のライラと他愛も無い会話を続ける。
「…もう二ヶ月近く会っていないんだけれど、中佐に訊いたところによるともう直ぐ帰ってくるみたいなの」
「へぇ…良かったね。じゃあ帰ってきたらご馳走とか作るの?」 「ええ。でもあの人は素朴な物が好きだから、ご馳走といってもそんな大した物にはならないけれど」 本当はあまりお料理は得意ではないのだけれど、あの人がお仕事している間に随分練習したの。 頬を染めながらも、夫のために頑張ったのだと誇らしげに話すライラ。
事情を知らない者ならば、良かったねぇ頑張りなという一言で済ませられるのに、内情を知ってしまっているが為に、エドワードには曖昧な笑みを返す事しか出来なかった。
こんなにも待ち遠しそうにしているのに。
こんなにも夫が愛しいと身体全てで語っているのに。
彼女の最愛の人物は、既に殺されてしまっている。
彼女も本当はそれを知らされた筈なのに、辛過ぎる現実に耐え切れなくて、夢と現実の狭間を見つめている。
夢にも浸りきれず。
現実を受け入れることも出来ず。
ただ、たゆたう波間に身を任せるように……
もしかしたら。
ゾクリ、とエドワードの背に、冷たいものが流れた。
もしかしたらこの人は、自分が迎えていた、もう一つの未来なのかもしれない。
ロイがリゼンブールをを訪れず、叱責も何も浴びずに絶望の沼に追い落とされたままだったら、もしかしたらこのライラのように現実を受け入れることが出来ず、夢と現実の狭間に意識を落としていたままだったのかもしれない。
鎧の身体を持つ弟と共に。
「!? っっっ」
グッ、と胸の奥から何かがせり上がってきて、エドワードは耐え切れず口元を押さえて蹲った。
自分がいたかもしれない場所に立つライラ。
夢と現実も区別できず、時折狂ったように暴れる彼女。
『メイフィスが、メイフィスが帰ってこないのっ!!』
もしもこれが自分だったら?
母親を練成し、失敗し、弟の身体全部と腕と足を持っていかれた自分が、絶望の底に墜ちたまま放置されていたら?
急激に血の気が下がり、ガクガクと手足が震える。
どうしたの?とライラが心配そうに覗きこんで来るのに気付いたが、反応さえ返せない。
もしも自分がそんな場所に今も放置されていたら。
きっと、絶対……
―――タエラレナイ
『何を作ったっっ!!!答えろっっっ!!!!!』
鬼のような形相で、相手が子供なのにも関わらず、胸倉を掴み上げて怒鳴った男が脳裏に蘇る。
あの時周囲はエドワードを責めなかった。
ピナコも、ウィンリィも、身体を失ったアルフォンスさえも。
皆が皆口にしたのは『お前は悪くない』という言葉。
悪くないわけが無いのに、人体練成という最大の禁忌を行ったことには変わり無いのに、周囲はエドワードを責めなかった。痛ましげな姿に眉を顰め、傷の心配をし、絶望に囚われた子供に、ひたすら労わる言葉だけを投げ掛けた。
子供だからといって、決して許される罪では無いのに。
真っ暗な暗闇。
一筋の光さえ灯らない空間。
そんな場所に墜とされたエドワードに、周囲の声は何一つ届かなかった。
母を失った悲しみと、そんな母をあんな姿で蘇らせ再び殺してしまった罪悪感と、弟の身体と足を代償にしても母を蘇らせられなかった自分の非力さと……全てが綯い交ぜになって、修復することも一から立て直すことも出来なかった自分。
絶望に落ちた意識で、欲したのは慰めの言葉ではなかった。
気休めの言葉など何一つ要らなかった。
自分は罪を犯した。
どれだけ言葉を貰っても、咎人の烙印を押された自分は、もう昔には戻れない。
だから、慰めなど要らなかった。
ずっと欲しかったのは。
欲しいと求め続けていたのは……
―――罪を『罪』だと真正面から突きつけてくれる言葉
周囲は、傷ついた子供に投げ付ける言葉じゃないと、彼を罵った。
だがエドワードは違った。
ようやく、と。
ようやく、自分の欲しかったものをくれたと。
罪を認識し、更に一歩踏み出す力を与えて貰ったと、安堵した。
彼女は別に罪を犯したわけじゃない。
最愛の者を亡くし、その事実を受け止められなかっただけ。
彼女が防衛本能で創った、夢と現実の狭間。
だけどそこは、真の安息の地ではない。
必死に吐き気を押さえ込みながら、エドワードは思う。
彼女はこのままでいいのだろうか。
狭間に逃げ込んだまま生き続けて、果たして幸せになれるのだろうか。
いつとも知れぬ現実という名の『悪夢』に怯え、夫を亡くした現実を思い出して叫び狂い、再び安息と定めた狭間を求める。
常に形の無いものに怯え、過去の記憶に縋り付いて……
確かに自分では彼女の支えにはなれないし、そんな度量もない。
ライラが望むのはただ一人、命を落とした夫だけだ。
「どうしたの、大丈夫?」
突然口元を押さえて蹲ったエドワードに、ライラは優しく声を掛ける。
小さな花を咲かせた白いカスミソウの花束を手に、少し虚ろな瞳でエドワードを見る。
「っ 、」
その瞳が与えてくる云い知れぬ恐怖に、エドワードは思わずヒュッと喉を鳴らした。
怖い、と純粋に感じる。
思わず叫びそうになるのを寸前でグッと耐えた。
「い、や…大丈夫」
搾り出すように上げた声は、酷く掠れていた。
明らかに具合が悪そうなエドワードにライラは心配げな表情を見せるが、エドワードは内側から無理矢理笑顔を引き摺り出す。
かなり無理をした笑顔だったが、ライラは変に思わなかったのか『ならいいのだけれど』と呟くとそれ以上追求してこなかった。
「…俺、そろそろ行かないと」
我ながらかなりワザとらしいとは思ったが、これ以上ライラと一緒に居るのは耐えられそうに無い。
一刻も早く逃げ出したくてさり気なく目線を逸らしながら手を振れば、ライラは「気をつけてね」と変わらない朗らかな笑顔でその背中を見送っていたが、エドワードがそれを目にすることは無かった。
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